ソニー生命は、
創業者の「夢」から始まった。
「ソニー電子工業とか、何か電気とつけたらどうかと言われたが、断固としてソニー株式会社でよい」
前身の東京通信工業からソニーへと社名変更する際に、創業者の一人である盛田昭夫は、そう言って社内の反対意見をはねのけました。
従って、我々は、飛行機でも自動車でも何でも作りうる。
その言葉どおり、今日のソニーは、エレクトロニクスをはじめ、金融、エンタテインメントなど多角的な事業を展開する一大企業グループとなっています。「ソニー生命」の誕生は、その夢のはじまりであり、象徴的な挑戦であったと言えるでしょう。
ソニーが金融機関を持つ。
夢は、現実に向かって加速する。
ただし、当時は“業界の保護”を名目に、異業種からの参入が厳しく規制されていた時代です。「金融機関を持ちたい」と思ったところで、その実現は夢のまた夢。盛田のように途方もない夢を抱いた者はきわめて稀だったと言えます。
目指したのは、「世界中どこにもない理想的な生命保険会社」をつくること。お客さま一人ひとりのニードに合わせた保障を提供する。その「志」を実現することは、かつてない挑戦でした。
「キャリアを誇りにできる人材によって、加入者一人ひとりのニードにマッチした責任ある生命保険ビジネスを創出する」。そこから「ライフプランナー」という新たな概念が生まれました。今後は、ライフサイクルを考えて、人生そのものを設計し直していかなければならない時代になる。そして、「ライフプランナー」はプロフェッショナルとして、一人ひとりのニードを生命保険で実現する……。このアイデアが、生命保険業界はもちろん、社会に対して大きなイノベーションを起こすことになるのです。
設立前の1979年6月に記された「新会社の概要」
ひとのやらないことに挑む。
「ソニー生命」はその誕生前から、当時の生命保険業界で大きな注目を集めていました。あのソニーが生命保険の世界にやってくる。多くの関係者が警戒心を持っていたと言います。ただし、「ソニー生命」が掲げるコンセプトを知った時、彼らは一様に胸をなでおろしたそうです。「私たちがどれだけ願ってもできないことをやろうとしている。あまりに無謀だ」と。ところが、盛田たちには一抹の不安もなかったと言います。あったのは、あふれんばかりの希望と高揚感。「ソニー生命」の成功を確信していたのです。
かつてない新たな生命保険会社を実現しよう。彼らが描いた未来は、「ひとのやらないことに挑戦し、社会に貢献する」というソニースピリットの象徴であったと言えるでしょう。